京都紋付
投稿者 下田将太
京都府京都市中京区に10YCのイロヘンサービス(カラーリフォーム)の染めをしていただいている京都紋付はあります。京都紋付は1915年(大正4年)の創業以来、紋付(もんつき)の黒染めだけを行ってきました。江戸時代より礼装とされてきた紋付は、黒ければ黒いほど上質とされ、京都紋付は黒一筋で長年培ってきた技術をさらに磨き、黒を極めることに専念する姿勢を貫いています。
古きを温ずね、新しきを知る
京都紋付は創業以来100年以上に渡って、黒染めのノウハウや技術を受け継ぎながらも、時代の流れとともに新しいアイデアや技術を取り入れることによって工程を変化させ、さらに進化を続けています。そして、2001年には洋服を普通の黒ではない深みのある黒に染めあげる同社独自の深黒加工と呼ばれる特殊な加工方法を開発しました。
より深みのある黒へ
この深黒加工では、黒染めを行ったあとに黒色だけに反応する特殊な液体で生地の表面をコーティングします。この加工により、普通の黒ではない思わず見入ってしまうような深い黒になるのです。また、この加工には生地に独特のぬめりが出るという効果もあり、驚くほど滑らかな肌触りになります。さらに、洗濯を繰り返しても黒の深みと風合いは損なわれにくく、色と風合いが長続きする耐久性も兼ね備えています。
次の100年へ
和服の反物の黒染めの仕事が減り続ける中、近年膨大な量が捨てられている洋服に着目し、シミや汚れが付いたり色あせたりして着られなくなった衣類を同社の黒染めの技術を活かして染め上げ、それまで以上に愛着持って着られるよう生まれ変わらせるサービスを行っています。
創業以来培ってきた技術を次の世代にも伝えていくため、これからも黒染めを行っていける環境を保つため、京都紋付はアップサイクルに積極的に取り組んでいます。
10YCはそんな京都紋付の長年黒だけを追い求め今も進化を続ける技と伝統を大切にしながらも未来を見据える姿勢に感銘を受け、京都紋付とともに未来のためのものづくりに取り組んでいくことにしました。
工場プロフィール
株式会社京都紋付
1915年 荒川金之介によって荒川染工場として現在の地に創業
1969年 2代目荒川忠夫により株式会社京都紋付を設立
1978年 黒染業界において画期的な濃色染めを考案‘純黒’として発表。同業他社とは一線を画す黒を表現することに成功し、「技術の京都紋付」としての評価を確立した。
1981年 大ヒット商品である「深泥黒」を完成。黒染めシェア60%を築く足がかりとなる。
1989年 昭和天皇大嘗際における装束「小忌染」製作の御下命を賜り、再現製作する。
1991年 着物縫製業並びに着物加工業を始める。
1996年 4代目として現社長荒川徹が就任。
1998年 新社屋完成(延べ床面積1,325.07m2)
2001年 黒染め(洋装)の研究開発を開始。約半年後、洋装業界では他に例を見ない深い色合いの黒染めを開発
「深黒」と命名、『御黒染司』の商標を登録
2004年 エコテックス取得
2013年 PANDA BLACKプロジェクトをWWFジャパンとコラボレーションを行い本格的に衣類を黒く染めて再生する事業をスタート。縫製業務停止
2015年 「れい」「御礼」発表
2016年 KUROFINE発表。以後、様々なアパレルブランドとコラボ。
2003年以後アパレル事業本格的に京都のアパレル業者の依頼をうけ、洋装素材に伝統の黒染め技術を生かした黒染めが出来ないものかと研究開発を開始。約半年後、洋装業界では他に例を見ない深い色合いの黒染めを開発。「深黒」と命名、黒を極める加工技術と小物の加工技術を加味した加工ブランド『御黒染司』の商標を登録。後に自社製品ブランドとして、「BL WHY」(BLACK WASOU HASSIN YOUSOU )を立ち上げる。過去、アシックス、ゴアテックス、伊勢丹新宿店、TAKEO KIKUCHIなどさまざまな業種と黒染めの技術を生かしコラボレーションを行ってきた。こうした経験を活かし「黒染め」の技術と「和装の意匠力」を活かし種々雑多の洋装素材へ黒染技術の開発と、アパレル関連製品として黒染めをベースとしたジーンズカジュアル製品の開発を主力として取り組んでいる。また本事業をアパレル製品の開発、加工だけにとどまらず、アパレル事業での経験と知識を生かし、和装への製品開発に生かす「原点回帰事業」も現在行っている。同社の事業は経済産業省、ジェトロ、京都市商工会議所、京都高度技術研究所などから選定され、技術的支援、販路開拓支援、助成金支援を受けている。
〒604-8823 京都府京都市中京区壬生松原町51−1
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